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ルールに対する意識の違い(お国柄と文化)

 最近は少し状況も変わっているところはありますが、皆さんにとってルールとはどういう位置づけでしょうか。私の感じるところでは、日本におけるルールの位置づけは、「基本的に守るもの」ではないでしょうか。もちろん、ルールを守れない時もあるでしょうが、積極的にルールを破るという文化ではなく、前述のとおり守るのが基本で、何らかの事情によって守れないことがある、または、ごくごく一部がそこから逸脱しているということだと思っています。

 

 しかし、こういったことの根本的な土台は、それこそ文字通りの文化であり、お国柄というものが顕著に現れるものです。以下の記述はその国の人たちすべてに当てはまるわけではないかと思いますが、実際にその国の方とお話しする中で伺ったもので、一つの見解としてご紹介します。

 

 日本以外の先進国の代表として、米国の友人とこの話題で話をしました。すると、彼曰く、米国でもルールは基本守るものであるとのことでした。ただし、日本と少し違うのは、ルールに穴がないかということは積極的に探して、利用できるのであれば利用するということでした。日本でも最近はこの傾向は顕著に増えてきており、抜け道を見つけ出してそこでビジネスを展開するというケースが散見されます。ただ、日本の場合は根底にある文化はやはり「守る」であり、近代の資本主義化の中でそういった穴を見つけるというビジネス手法が増えてきたのではないかと思われます。

 

 したがって、このルールの穴を積極的に探して利用するというのは、米国に限らず資本主義社会における共通のものなのかもしれません。しかし、この手法はもちろん、違法であるとか、ルール違反ということではなく、ある意味では上手にルールを利用していると言えますが、必ずしも健全なものであるとは言い難いと思います。こういった手法が主流になってしまうと、ルール自体が骨抜きになってしまい、社会基盤自体が崩壊する恐れもあります。

 

 また、欧米、特に米国の上手なところは、ルールそのものを自分たちの都合の良いように変える、または、都合の良いルールを作ることにもあります。要するに、ルールに自分たちを合わせるのではなく、ルールを自分たちに合わせるというやり方です。近年においても、日本の産業界はこの手法で何度も痛い目を見ています。

 

 これに対して、お隣中国の方と同じ話題で話をしました。すると、最近はルールは守るという風潮も生まれつつはあるが、中国おいて対ルールという意味で根底に存在するのは、守ったら損するのであれば守らないというものでした。すなわち、自分が守って損をするのであれば守る必要はない、守らない人が得をするのであれば守らないというのです。少なくとも、日本の文化、欧米文化に対しては異質なものである言えます。また、積極的に駄目だと決められていないのであれば、それをやってなぜ悪いのかという考え方も同時に存在するとのことでした。そして、これが根底の思考だと口にすること自体もはばからない様子というのもある意味では驚きでした。

 

 話をした二人とも親しい友人なのでざっくばらんに話をしていたのですが、米国の友人にそんな風にしていれば社会基盤がおかしくならないか、ルールの意味がなくならないかと問えば、資本主義的考え方とはそういうものであり、それでおかしくなるのであればルールを変えれば良いとの意見でした。これを聞いてふと思ったのは、前述のように米国というのは実は競争の世界でも自分たちのルールをスタンダードにする戦略をとることが多くみられることでした。日本は逆に、ある種の常識で判断しようとするので、ルールという枠作りで後塵を拝して不利な競争をするということがあります。

 また、中国とのビジネスにおいても、駄目だと明言されていないのになぜ非難されるのか、駄目なのかという議論になることが往々にしてあります。上記の話を聞けば、当然の反応と言えるかもしれません。だから、中国でビジネスをするときにはこんなところまで、というレベルまで指示しないと回らないという話もよく耳にします。

 

 グローバル社会といわれて久しいですが、今でもそういった国ごと、地域ごとの文化の影響は色濃く残っています。グローバルビジネスを考えていく中では、こういった側面も考慮する必要があるのではないでしょうか。

 

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