JRLテックログ

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全体視だけでは足りない

 「木を見て森を見ず」という言葉があります。プロジェクト運営や様々な業務、行動、考える時には部分に囚われるのではなく、全体を見なければならないということです。重箱の隅に囚われて、全体が見えていないと、これで大丈夫と思っていても足元をすくわれてしまう、どんでん返しを喰らってしまうということになるということです。他の言い方をすると、俯瞰視とも表現される通り、一歩下がって、一段高い位置から客観的に対象を見るということが必要となります。

 

 しかし、果たして全体を見ていれば、全体視が出来ていればそれで良いのでしょうか。

 

 ちょっと本来のニュアンスは違いますが、「神は細部に宿る」という言葉もある通り、細部、部分を無視してはいけません。全体視ばかりに気持ちが行くと、どうしても思考や行動が概念的になってしまい、具体性に欠けるという状態に陥ることがあります。やってみないと分からないということも世の中には数多くあり、そういったことまで全体視の中で処理するのは極めてハイレベルなことになります。従って、特に実際の行動に移すときにはその行動の属する部分を注視(凝視)しなければなりません。

 

 全体と部分を見ていれば、これで文字通り全部が見えているということになりそうですが、本当にそうでしょうか。実はもう一つ見て欲しいことがあります。それは、「流れ」です。名前を付けるなら「流体視」とでも言えるでしょう。世の中も含めて、物ごと、対象は絶えず変化しています。その変化を捉えて、リアルタイムに対応していかないとせっかくの努力も水の泡ということになってしまいます。

 

 もちろん、全体視、部分視を絶えず行うということでも対応できる部分はありますが、ここでは敢えて、別の「視」として定義しておきたいと思います。それは、ほとんどの場合、全体視も部分視も行動等の前の段階で行い、それに則って行動するからです。従って、行動の途中で、リアルタイムに変化を注視するということが必要となるのです。

 

 そういう意味では、これら「3視」の中ではこの流体視が最も難しいかも知れません。それは、全体視的視点、部分視的視点の両方の視点で流れを見なければならないからです。すわなち、全体を見て計画を考え、部分を注視して行動して、変化に注意するということです。こうやって見ると、PDCAは正にこれら3視を体現したものかもしれません。Pは全体視で、Dは部分視で、CAは流体視的視点でということになります。皆さんも是非、この3視を意識して頂けると良いかと思います。

 

 ところで、なぜ3視は全体見、部分見、流体見ではなく、「視」なのでしょうか。これには、漢字の持つ意味が関係しています。実は日本語には「みる」という漢字はたくさんあります。その中でこの「視る」は「注意して観察する」というような意味を持っています。なので、この字が使われているのです。日本語って面白いですね。

 

 3視を業務に取り入れてたいときはジャパン・リサーチ・ラボにご相談ください。ご相談はこちらへ。

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