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叱るということ、叱り方、その方法

 最近良く耳にすることの中で、

  「叱れない上司」、「叱れない親」

というフレーズがあります。確かに、人を叱るということはとても難しいことです。しかし、叱ってもらえないということは不幸であるとも言われます。

 なぜ叱れないのか、叱るとはどういうことなのか、そんなことについて今回は書いてみたいと思います。

  「叱れない」という最も端的な理由は、叱り方が分からないということだと思います。そもそも叱るとはどういう行為なのでしょうか。

 

 そこで、よく混同される「叱る」と「怒る」の違いについてまずは整理しておきたいと思います。一般的には、叱られる、叱るというよりは、怒られた、怒ったというような表現が良く使われます。おそらく、使っている人たちは、叱るというニュアンスで言っていると思われるのですが、実は両者は全く異なります。

 

 ところが、辞書(大辞泉)で調べても

叱る

 ① (目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて、強い態度で責める。
 ② 怒る。
 ③ 陰で悪口を言う。

怒る

 1 不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。 2 よくない言動を強くとがめる。しかる。

と書かれていますから、より混乱してしまいます。

 

 しかし、前述の通り両者のニュアンス、意味には大きな違いがあります。それは、

  感情の有無

です。すなわち、

 叱る:規範、論理に基づいて客観的に間違いを正す。

 怒る:主観、感情に基づいて相手の落ち度を指摘する。

と表現することができます。

 

 したがって、叱るとは改善点の指摘であり、教育的観点が軸になっているという点が大きなポイントです。怒るというのは、相手の間違い、落ち度を指摘するだけ、言い換えるならダメ出しをするだけで、建設的ではなく、過去思考であるとも言えます。これに対して、叱るは間違いを指摘るするだけでなく、指導、助言をというニュアンスが含まれています。そういう意味では、未来思考的であると言えます。

 

 叱るを単に間違いを指摘るすることという怒ると混同しているから、相手の揚げ足を取るような意識が生まれて叱れないという状況が生まれます。しかし、本来の叱るは前述のように、相手のために、相手の成長、未来のために指導、助言することですから、叱ることをしないのは相手のためにならないのです。叱るとは、相手のためにすることです。一方で怒るは自分の感情を解放するためにすることです。

 このように考えれば、叱るという行為のハードルは大きく下がるはずです。

 

 基本は、単に間違いを指摘するのではなく、どうすれば相手のためになるのか、相手の成長につながるのかということを第1に考えることです。

 

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