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サイエンスと戦争

 これまで人類は数々の戦争を経験してきました。今日、8/15はその中でも最大の悲劇の一つである第2次世界大戦、いわゆる、太平洋戦争の終戦記念日です。実は、この終戦記念日も国によって日にちが違っていたりするのですが、ここでは日本の日にちで言っています。

 

 さて、終戦記念日等になると話題に上ることの一つに戦争の悲劇に対するサイエンスの責任があります。特に、第2次世界大戦では原爆が唯一実戦投入されたこともあって、戦争とサイエンスの関係がクローズアップされます。実際、原爆開発プロジェクトであるマンハッタン計画に関わった科学者や、原爆使用に関して当時の大統領トルーマンに進言した科学者などがインタビューに答えているシーンを目にした方も多いのではないでしょうか。

 使用したアメリカとしては、使ったことは間違いであったとは絶対に言えないので、体制の見解としては犠牲を増やさないために戦争の早期終結が必須であり、そのためには原爆投下は必要であったということになっています。しかし、当時の関係者の個人的インタビューではその惨状を実際に知って悔恨の言葉を口にしているケースも少なくありません。

 

 原爆に限らず、飛行機、ロケット、そして、身近な通信技術やインターネットも戦争に関連して生まれ、育てられて技術であり、これら以外にもたくさんの技術が生まれ、成長しました。現実に今でも戦争自体は起きていませんが、軍事技術をベースに民生化された技術は数多くあります。そんな背景から、戦争は技術発展に不可欠である、戦争によって技術は飛躍的に進歩するというような過激な思想の人達がいるのも事実です。もちろん、私はそんな風には思いませんし、思いたくもありません。実際に戦争をきっかけに発達したことは否定できないかもしれませんが、あくまでもそれは「黒歴史」の一つだと思っています。

 

 では、サイエンスと戦争の関係、戦争の犠牲に対するサイエンスの責任とはなんでしょうか。サイエンスを独立のもの、やや擬人的なもの、または、道具として捉えた場合、サイエンスそのものには一切の責任は無いと断言して良いでしょう。あくまでも、利用者側、人類の責任でしかありません。良く言われるように、包丁も料理に使えば必須の便利な道具ですが、人を殺すこともできます。鉛筆でさえも使いようによっては凶器になります。どんなものでも同じです。

 

 戦争という視点において、そういった不幸に対する責任は無いとして、社会に対するサイエンスの責任(役割)とはなんでしょうか。それは、戦争の根源的原因の解消ではないかと考えます。間違っても、圧倒的力による抑止力の実現ではありません。戦争は基本的に何かの不足を補うためか、宗教的なものも含めて思想的衝突が主な原因としています。従って、サイエンスの力によってその不足を解消すれば戦争をする理由は無くなります。例えば、資源もあらゆるものがサスティナブルにできれば奪い合う必要は無くなります。思想的衝突であっても、その根底には相いれない思想を持つ人たちが関係を無視できないほどに近接しすぎている、即ち、国土の問題があります。例えば、砂漠などの今は人が住みにくい場所を快適にできれば、宇宙への進出ができれば解消できるのではないでしょうか。

 

 サイエンスは、社会を快適にし、維持し、不足を補うことができます。そういった社会への「正」の貢献こそがサイエンスの責任であり、役割であると考えます。人類はそれほど愚かではない、サイエンスは愚かささえも補ってくれると信じています。ジャパン・リサーチ・ラボもそんなサイエンスの社会への貢献の一助になれればという思いで頑張っていきたいと思っています。