マスタリーという言葉を耳したことがある方もおられるかと思います。日本語では、熟達などと表現されます。モチベーションとも関係するもので、人の内面と関わりがあります。しかし、少々分かりにくい側面も持っています。
そこで、今回はこのマスタリーというものについて書いてみたいと思います。
「マスタリー」という言葉といちばん近い身近な言葉は、「マスター」、すなわち、習得するという意味で使われる言葉かと思います。もちろん、マスタリーにも同様の意味があります。ただ、通常マスタリーはそういった知識面やスキル面だけでなく、心の成長、すなわち、内面的な成長といったニュアンスも含んでいます。さらには、そういう学ぶ姿勢といった意味を持つという場合もあります。
では、マスタリーを実現した状態とはどういう状態をいうのでしょうか。
単に何かができるようになった状態などではないことは、前述の定義からも明らかです。まさに、自分のモノになった状態とでも言えるかもしれません。何かをマスターして卓越した状態が普通になる、日常になった状態をマスタリーと表現することが出来ます。特別な努力や苦労をすることなく、まるで息をするかのように、当たり前にできる状態、それを真のマスタリーと言います。
当然のことながら、そのようなマスタリーな状態になることは容易ではありません。マスタリーな状態になった後は当たり前になりますが、そこに至るには多大な努力が必要になります。そして、そのような努力にもかかわらずその進捗は遅々としたもので、漸近線のようなものであるとも表現されます。または、量子的、すなわち、階段を上るように不連続なプロセスであるとも言われます。
しかし、いずれにしても一度マスタリーな状態になってしまえば、それが当たり前になるというのも特徴の一つと言えます。
では、マスタリーな状態になるにはどうすれば良いでしょうか。もちろん、多大な努力は必要になるでしょう。それ以外に、スタートを切るためには、自らのありたい姿と現実を比較してギャップを自覚することが必要不可欠です。そして、投資する労力は創造のためのものであり、常にありたい姿に向けて学習し続けることであると認識することです。
次に、その努力の結果、マスタリーな状態をどう判断すれば良いでしょうか。もちろん、習得という言葉に集約されるわけですが、ここで重要なことは単に理解する、できるようになるだけではまだ道半ばであるということです。真に目指すべきはその先です。具体的には、例えば人に教えることが出来る状態が挙げられます。人に教えるという行為は最も高い理解レベルを要求します。教えられないということは、本当の意味で自分のものになっていないのです。
人材育成においてもマスタリーは重要な考え方です。単に手順を教える、覚えるだけではなく、その背景や理由も含めて、考え方を理解することが大切です。